日本は真の文化国家になったか

 日本国憲法施行から70年、日本は「文化国家」を目指してきた。焦土の中、ラジオから聴こえる音楽、安心して足を運べるコンサートには多くの人々が群った。日本で教鞭を執っていたアレクサンドル・モギレフスキー、レオニード・クロイツァーなどが活動を再開した。

 オーケストラでは東京交響楽団など、今日の楽壇を支えるオーケストラが成立、活発な演奏活動を開始した。毎日新聞社、NHK共催の日本音楽コンクールの他に学生音楽コンクールも設立、多くの逸材を送り出した。オペラでは藤原歌劇団、長門美保歌劇団、二期会が誕生した。二期会は人材面では藤原、長門美保を凌ぐ団体に成長した。藤原歌劇団もイタリア・オペラ中心のレパートリーで、共に日本のオペラ界を支える団体となった。

 一方で、音楽評論家たちはモギレフスキー、クロイツァーなどを誹謗するような評論を出したり、日本人ばかり聴かされるのはご免、外来演奏家を呼べなどと言いだす。作曲家、指揮者として活躍した尾高尚忠が1951年、39歳で夭折、ピアニスト、原智恵子へのバッシング、東京交響楽団の楽壇長の自殺、若き小澤征爾とNHK交響楽団との確執、日本フィルハーモニー交響楽団の存続問題と新日本フィルハーモニー交響楽団への分裂、日本の作曲家を侮辱したNHK交響楽団事務長の発言などの事件も起こっている。

 外来音楽家、オペラ引越し興行の入場料が20000円から60000円という高額入場料となり、音楽愛好家たちの経済状況には重荷となっている。最近、高い入場料のためか、あまり高いランクの席は売れなくなったという。そんな中で、2005年から始まったコンサートシリーズ、ラ・フォルジュルネ・オ・ジャポンは安い入場料で外来音楽家、日本の音楽家も聴けるため、多くの音楽愛好家、家族連れを集めている。

 とはいえ、日本では社会が音楽家を育てる土壌が弱い。オペラでは市民オペラ運動があっても、地域差がある。アマチュア・オーケストラも津々浦々とはいえ、レヴェルもまちまちである。聴き手を集めるにも困難だろう。

 果たして、日本は音楽面では「文化国家」になったかと言えば、なり切れていない。高額入場料問題の解決、音楽家を育てる土壌づくり、音楽大学の問題などが山積している。最近、学芸員を侮辱するような大臣の発言も物議を醸している。こうした裏方と言うべき人々も音楽文化に貢献している。こうした人々をないがしろにするようでは「文化国家」ではない。音楽関係の書物を見ても、ガセネタ的なものが増えて来た。2014年におきた佐村河内問題にしても、発端となった「全聾の天才作曲家 佐村河内守は本物か」の文章が子どもじみた内容で、こんな文章に騒ぎまわる音楽愛好家たち、世相も情けない。こんなもので騒ぎまくるようでは、日本は「文化国家」とは言えないだろう。