ファニー・メンデルスゾーン=ヘンゼル 時代に埋もれた女性作曲家の生涯

 ここ最近、多くの女性作曲家に関する研究が進んできた。その代表格がフェリックス・メンデルスゾーンの姉ファニー・メンデルスゾーン=ヘンゼル、ローベルト・シューマンの妻クラーラ・シューマンだろう。

 ファニーには「もう一人のメンデルスゾーンーファニー・メンデルスゾーン=ヘンゼルの生涯」(山下剛 未知谷出版社)がある。これはドイツの音楽学者ウテ・ビュヒター=レーマーによる本格的な研究書で、姉弟揃って素晴らしい音楽の才能の持ち主だったファニーとフェリックスのとの関係、19世紀市民社会の女性像、ユダヤ人だったメンデルスゾーン家、画家の夫ヴィルヘルム・ヘンゼル、ヘンゼルとの間に生まれた長男セバスティアン、ファニーの音楽活動の中心となったメンデルスゾーン、ヘンゼル家の日曜音楽会、ファニーの作品を取り上げ、フェリックスの影に隠れていたファニーの全体像に迫っている。

 フェリックスが音楽家として才能を発揮、表舞台に飛び立っていく一方、ファニーは当時の市民社会における女性の慣習に従い、結婚、出産により主婦の役割を果たすこととなった。幸い、画家ヴィルヘルム・ヘンゼルとの結婚により、自宅での日曜音楽会により活動の場を得ることとなった。しかし、ファニーの作品は歌曲集、Op.4,Op.10のみ世に出ただけで、フェリックスも出版に消極的だった。ファニーの死後、作品の出版も進んだとはいえ、完全に認められるに至らなかった。また、当時のドイツの政治・社会への関心もあった。

 ファニーがヘンゼル、長男セバスティアンとイタリアに旅した際、音楽家ジョルジュ・ブスケ、シャルル・グノー、画家シャルル・デュガソーとの出会いが一筋の光明をもたらし、音楽家として高く評価されたことも大きかっただろう。ドイツへ帰り、家庭に押し込められたファニーの閉塞感との落差が大きい。

 1847年5月、ファニーの突然の死はフェリックス、ヘンゼルに大きな衝撃を与えた。フェリックスは半年後にこの世を去り、ヘンゼルは政治に関わるようになった。セバスティアンは農場経営者となった後、ベルリン・ホテル建設協会ディレクターとなった。しかし、ファニーの作品が1980年代後半になって再評価が進み、多くの作品の出版により、その全体像が明らかになった。フェリックスが始めたとされる「無言歌」はファニーが始めたものであることがわかり、フェリックスの作品のうち、いくつかがファニーのものではないかという指摘も出た。ファニーの作品がフェリックスと肩を並べるほどの内容だった。

 米澤孝子の訳、宮原勇の監訳は読みやすく、文章もしっかりしている。ご一読をお勧めする。

 

(春風社 2300円+税)