佐藤俊介 オランダ・バッハ協会管弦楽団 ヴァイオリン協奏曲 第2番 BWV1042

 オランダ・バッハ協会、佐藤俊介によるバッハ、ヴァイオリン協奏曲、第2番、BWV1042。オランダ在住の佐藤はオランダ・バッハ協会管弦楽団と共に帰国してコンサートも行っている。

 第1楽章の溌溂たる、生気溢れる演奏は聴き始めるとすぐ引き込まれてしまう。寺神戸亮の演奏も聴き、比較したくなってしまう。第2楽章では歌心溢れる演奏。心からの歌が伝わってくる。第3楽章は喜びに溢れている。溌溂とした、生気に満ち、バッハの音楽を味わわせてくれる。

 これはクラヴィーア協奏曲にもなっているので、様々な演奏家が取り上げている。グレン・グールド、最近では新世代の音楽家として注目を集める鈴木優人の演奏と比べてみたい。

マルタ・アルゲリッチ ショパン ピアノ協奏曲 第1番 Op.11 (2010年 ワルシャワ)

 マルタ・アルゲリッチがポーランド、首都ワルシャワでのショパン、ピアノ協奏曲、第1番、Op.11、ライヴ。ヤツェク・カスツェク、シンフォニア・ヴァルヴィゾとの共演。2010年8月27日、フィルハーモニーホール。ショパン生誕200年記念に相応しい。

 第1楽章。アルゲリッチのピアノには歌心が満ちている。この時、69歳。これ見よがしではない。デュトワとの共演から15年後、深化したアルゲリッチの姿を見る。ショパンの世界が広がっている。ピアノの音色も心に響く美しさである。

カスツェクの指揮も素晴らしい。遅めのテンポでありながら、アルゲリッチを引き立てている。

 第2楽章。ロマンス、オーケストラがじっくり歌い上げると、ピアノが入り、ショパンの心を歌う。アルゲリッチが深々と歌い上げていく。円熟したピアニストの味わい深さが加わり、音楽も深みが増している。カスツェクのサポートが光る。

 第3楽章。アルゲリッチのピアノには歌心が息づき、かつての奔放さから音楽の核心に近づくものになっている。技巧にも音楽が加わり、一層深みが増している。ショパンの音楽が息づき、ポーランドの大地が見える。ショパンが少年期を過ごしたポーランドはドイツ、ロシアに国を分断され、独立への思いがたぎっていた。しかし、19世紀、独立を果たせず、1918年、第1次世界大戦後に独立を果たすも、ナチスに蹂躙、アウシュヴィッツに代表される負の遺産も残った。第2次世界大戦後、ドイツから領土を得て、今のような形になった。

 今、ウクライナがロシアの侵攻にさらされている。そんな中でアルゲリッチのショパンを聴き、ウクライナが平和、日常生活を取り戻すことを切望する。

ヴィルヘルム・バックハウス ベートーヴェン ピアノ協奏曲 第5番 Op.73「皇帝」

 ヴィルヘルム・バックハウス、ベートーヴェン、ピアノ協奏曲も第5番「皇帝」となった。ライヴでは1954年来日時、上田昭指揮、東京交響楽団との共演、アンコールにショパン、練習曲、Op.25-1「エオリアン・ハープ」が入っているため、聴きものである。また、1960年、東ドイツに入った故郷ライプツィッヒではフランツ・コンヴィチュニー、ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団との共演で、この協奏曲のライプツィッヒ初演を思わせるものとなっている。ハンス・クナッパーツブッシュ、サー・ゲオルク・ショルティなどとの共演が残っている。ヴィルヘルム・フルトヴェングラーとの共演もある。これは残っているだろうか。

 第1楽章。ピアノの華麗なカデンツァが素晴らしい。バックハウスはこれ見よがしではなく、音楽に集中している。ハンス・シュミット・イッセルシュテットが見事に応じている。ベートーヴェンはこの作品の前、ヴァイオリン協奏曲をピアノ協奏曲に編曲したおり、ピアノとオーケストラとの融合を重視した。それが第5番に至り、ピアノとオーケストラとの交響曲として結実したといえよう。どちらも対等になっている。ブラームスがベートーヴェンの協奏曲を手本として、2曲の素晴らしいピアノ協奏曲を書き上げたことを裏付けている。協奏曲主部に入っても、両者が対等になっている。

 第2楽章。変奏曲、オーケストラが主題を提示する。ヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団の弦の響きが見事。ピアノが入ってくると、深みが増す。イッセルシュテット、バックハウスが歌心たっぷりに味わい深く進めて行く。ベーゼンドルファーの響きが素晴らしい。バックハウスはライプツィッヒ生まれで、ブリュートナーの響きにも慣れていたかもしれない。ベーゼンドルファーを好んだとはいえ、ブリュートナーはどうだったか。第3楽章の主題を予告しつつ、切れ目なしに入っていく。

 第3楽章。ピアノのどっしりとした重厚さ。ここぞといっても、バックハウスは音楽に集中する。イッセルシュテットも同じである。どちらも位負けしていない。ベートーヴェンの音楽がある。コーダでは、ピアノとティンパニとの掛け合いが聴きどころだろう。ヴァイオリン協奏曲のピアノ編曲版、カデンツァでピアノとティンパニとの掛け合いがある。ベートーヴェンが協奏曲に交響曲の重み・深みを与えようとした試みとして注目すべきだろう。ヴァイオリン協奏曲の編曲での試みがこの作品に活かされたというべきであり、交響曲の重み・深みを与えることになったとみてよいだろう。

 バックハウスとフルトヴェングラーとの共演、録音が残っていたらCD化は当然としても、見つかったら一大センセーションになる可能性があるだろう。カラヤンとの共演も残っていたから、可能性があるだろう。

ヴィルヘルム・バックハウス ベートーヴェン ピアノ協奏曲 第4番 Op.58

 ヴィルヘルム・バックハウス、ベートーヴェン、ピアノ協奏曲、第4番、Op.58。バックハウスはこの曲を大変得意にしている。カール・ベーム、ヴィーン交響楽団との映像版、ヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団との共演など、色々な録音を残している。ハンス・シュミット・イッセルシュテットとの共演によるこの盤も名演だろう。

 ベームとの共演版では、バックハウスへのインタヴューがある。この協奏曲について、「オリュンポスの威光」と称している。古代ギリシャ、オリュンポスの威光を思わせる。同時期の交響曲、第4番、Op.60も、シューマンが「ギリシャの可憐な乙女」と称している。ピアノ協奏曲、交響曲、共に第4番にはギリシャの威光が感じられ、古代ギリシャへのベートーヴェンの憧れが感じられる。

 第1楽章。ピアノが歌い出す第1主題。まさしくギリシャの世界である。この協奏曲に初めて惹かれた中学3年、修学旅行で京都・奈良に行った際、「東洋のギリシャ」奈良には相応しいと思った。奈良を思い出すと、この協奏曲がぴったりする。バックハウスがただ一度来日した際、奈良にも行き、東大寺の大仏殿を見たという。法隆寺はどうだったか。知りたいところである。ピアノ、オーケストラからギリシャの光が輝き、全体に満ち溢れていると言ったらいいだろう。奈良にも似合う。

 第2楽章。ここは弦楽器とピアノとの峻厳な対話。当時、ベートーヴェンはブルンズヴィック伯爵家出身、ダイム伯爵夫人となったヨゼフィーネと恋愛関係にあった。ヨゼフィーネは夫、ダイム伯爵に先立たれ、心身症を患っていた。そんな中、ベートーヴェンは恋愛関係になりつつも、厳しく自分の内面を見つめていただろう。この楽章には、オルフェウスが冥界から妻、ユーリディケを連れ戻そうとする情景を思わせることから、オルフェウス神話とのつながりが伝えられてきた。法隆寺の救世観音像を見ると、この楽章を思い出す。フェノロサがこの像を見た際、観音像の微笑みに魅せられたという。聖徳太子ゆかりの寺、法隆寺には太子一族の悲劇もあり、この像を見るなら一番合っているだろうか。

 第3楽章。ギリシャの自然、奈良の自然が目に浮かぶ。明るい陽光、山々に包まれ、神々しさを誇る風景。どちらも調和する。聴きどころはヴィオラ、チェロがピアノと絡み合い、ロンド主題をたっぷり歌う。ヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団の弦の響き、バックハウスのピアノが見事に調和している。コーダ前のカデンツァはバックハウス自身のもの、ギリシャの光に満ちた素晴らしいカデンツァ。作品に相応しい。奈良へ行くなら、この協奏曲の楽譜をお供にして行きたい。そう思ってしまう。ギリシャの自然への賛歌であり、奈良の自然にも相応しい。

 バックハウスはヘルベルト・フォン・カラヤンともこの協奏曲を共演しているという。カラヤンとの共演はブラームス、ピアノ協奏曲、第2番、Op.83のライヴ録音が残っている。これはあるだろうか。もし、録音が出てきたら、一大センセーションを巻き起こすだろう。

ダニエル・バレンボイム チャイコフスキー ピアノ協奏曲 第1番 Op.23

 1991年、ダニエル・バレンボイムがセルジュ・チェリビダッケ、ミュンヒェン・フィルハーモニー管弦楽団と共演したチャイコフスキー、ピアノ協奏曲、第1番を聴く。

 第1楽章の華麗な序奏部は聴きもの。バレンボイムはこれ見よがしにしていない。主部はゆったり目とはいえ、ウクライナの大地を思わせる。チャイコフスキーはウクライナ、ダヴィトフ家に嫁入りした妹、アレクサンドラのもとをよく訪れていた。ダヴィドフ家の子どもたちのために「こどものためのアルバム」Op.39を残している。子どものための作品集として、シューマン、ユーゲント・アルバム、Op.68をはじめプロコフィエフ、カバレフスキー、ハチャトゥリアン、ショスタコーヴィッチが名作を残している。子どものための作品を見ると、ロシアの作曲家たちが目立つ。社会主義国家の音楽の在り方もあるだろう。本題に戻ると、ウクライナの匂いが感じられる。ロシア軍によるウクライナ侵攻が進む今、この協奏曲を聴きながら、バレンボイムが取り組む、音楽による中東和平の道を感じ取る。チェリビダッケも素晴らしいサポートを見せる。バレンボイムもチャイコフスキーの音楽を大切にしながら、音楽を進める。  

 第2楽章。ここにもウクライナの匂いが感じられる。ウクライナではヴラディーミル・ホロヴィッツ、エミール・ギレリスといった素晴らしいピアニストたちが生まれ、世界中の人々の感動を誘った。今でも、アレンサンドル・ガブリリュクなどの逸材が輩出している。旧ソヴィエト時代、ギレリスはモスクワ音楽院で後進育成に当たり、ヴァレリー・アファナシエフのような鬼才も出ている。さて、バレンボイムのピアノを聴くと、これ見よがしな面が感じられず、自然と音楽を流している。チェリビダッケもさすがである。

 第3楽章。バレンボイム、チェリビダッケが素晴らしい共演を繰り広げている。どちらも自然に音楽を流している。ウクライナ舞曲に基づくもので、民族色豊かである。

 この作品を書き上げた時、チャイコフスキーがよき理解者だったニコライ・ルビンシテインに批評を請うと酷評され、ハンス・フォン・ビューローが初演した。ビューローはヴァーグナー派からブラームス派になる。当初、チャイコフスキーはブラームスの音楽への嫌悪感があった。ハンブルクで交響曲第5番、Op.64が演奏された折、ブラームスも聴きに来て、評価してくれたことに喜んでいた。ブラームスもチャイコフスキーの音楽に好感を覚えたことは大きいだろう。ロシア音楽ではムソルグスキーは民族派、チャイコフスキーは国際派と言われる。チャイコフスキーは国際派と言われながら、ロシア人であることを意識し続け、ジレンマに悩んだかもしれない。その意味でも、ロシア社会とチャイコフスキーについて考える必要があるだろう。

 

ヴィルヘルム・バックハウス ベートーヴェン ピアノ協奏曲 第3番 Op.37

 ヴィルヘルム・バックハウスのベートーヴェン、ピアノ協奏曲全集も第3番に入る。ベートーヴェン得意のハ短調、第1楽章のオーケストラによる提示部は完全にベートーヴェンになっている。ハンス・シュミット・イッセルシュテットもここでは堂々たる演奏である。

 この協奏曲はプロイセン、ルイス・フェルディナント王子に献呈されている。ベートーヴェンの音楽をこよなく愛したものの、ナポレオン戦争、ザールフェルトの戦いで戦死した。プロイセンでもベートーヴェンの音楽が理解、かつ支持されていたことの証だろう。それが交響曲第9番、Op.125をプロイセン王、フリードリッヒ・ヴィルヘルム3世に献呈することにもつながる。

 ピアノが入ると勢いが増す。オーケストラも対等になり、ピアノがオーケストラを支える場面も出てくる。第4番になると、ピアノが最初から登場することになる。バックハウスも堂々たる演奏と共に、たっぷりと歌っていく。ただ、カデンツァはカール・ライネッケのものを用いている。バックハウスは協奏曲全体の性格を見た上で、ライネッケを用いたと考えてよいだろう。このカデンツァは緊迫感、抒情性を併せ持っている。

 ライネッケはハンブルク、アルトナ出身、ライプツィッヒ、ゲヴァントハウス管弦楽団の常任指揮者を務め、かなりの作品も残した。また、ベートーヴェン、ピアノソナタの校訂版も出している。近代のベートーヴェン解釈でも一時代を築いた演奏家である。

 第2楽章。バックハウスが素晴らしい歌を聴かせる。深々とした呼吸で、かつ淡々と弾き進める。イッセルシュテットも素晴らしい歌で応ずる。名器ベーゼンドルファーならではだろうか。深い味わいに満ちている。中間部のピアノとオーケストラの掛け合いも見事である。主部の再現ではピアノ、オーケストラの対話が絶品である。

 第3楽章。ピアノからロンドが始まる。バックハウスが全体を引っ張る。イッセルシュテットが応ずる。ピアノとオーケストラが完全に対等になり、交響曲風になる。ヴァイオリン協奏曲のピアノ版ではオーケストラとピアノが一体化、第5番「皇帝」では交響曲になっていく。中間部の主題がオーケストラでフーガ風に提示され、ピアノがホ長調で主題を演奏後、ハ短調に戻る独創性は、ブラームスがピアノ協奏曲、第1番でも取り入れた。ベートーヴェン、ブラームスも協奏曲に交響曲的な要素を加え、音楽的にも充実した作品にしたかったといえよう。コーダはハ長調、8分の6拍子になり、華やかに結ばれる。音楽も自然に流れ、見事な締めくくりを聴かせる。

ヴィルヘルム・バックハウス ベートーヴェン ピアノ協奏曲 第2番 Op.19

 ヴィルヘルム・バックハウス、ベートーヴェン、ピアノ協奏曲、第2番、Op.19。ハンス・シュミット・イッセルシュテットが素晴らしい指揮で支えている。イッセルシュテットには北ドイツ交響楽団を指揮したブラームス、交響曲全集をはじめ、ヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団とのベートーヴェン、交響曲全集もある。ベートーヴェンの場合、バックハウスとの共演がきっかけだろう。

 第1楽章。オーケストラからピアノへと移ると、バックハウスが見事なピアノを聴かせる。イッセルシュテットも負けていない。この作品が事実上、ベートーヴェンのピアノ協奏曲、第1番だろう。しかし、出版上の理由で第2番となった。

モーツァルトを思わせるようであっても、ベートーヴェンが滲み出ている。カデンツァはベートーヴェン自作で、重厚なつくりになっている。

 第2楽章。オーケストラのたっぷりした響き、ピアノの歌心が調和して、素晴らしい世界を生み出している。中間部のオーケストラの歌にピアノが彩を添えている。ピアノとオーケストラとの対等な立場が確立、第3番に引き継がれ、深い表現となっている。

 第3楽章。ロンド、バックハウスのピアノが見事で、ユーモアにも欠けていない。イッセルシュテットもこれに応え、全体をしっかりまとめている。ピアノの音色も絶品である。ベーゼンドルファーの響きだろう。バックハウスはベーゼンドルファーを好んでいた。また、ベッヒシュタインも用いている。ライプツィッヒ出身とはいえ、ブリュートナーはどうだっただろう。知りたいところである。

ヴィルヘルム・バックハウス ベートーヴェン ピアノ協奏曲 第1番 Op.15

 ヴィルヘルム・バックハウスの貴重な遺産、ベートーヴェン、ピアノ協奏曲、第1番、Op.15。ハンス・シュミット=イッセルシュテット、ヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団との共演である。

 第1楽章。若きベートーヴェンの覇気溢れる第1主題、変ホ長調で提示される第2主題が堂々と流れる。イッセルシュテットの素晴らしい指揮ぶりが窺える。バックハウスの見事なピアノが入り、調和のとれた世界を描き出す。ベートーヴェンはヴィルトゥオーソ・ピアニストとして頭角を現し、作曲家としても充実しつつあった一方、耳の病が本格化する。そのような面を感じさせない。バックハウスが愛用したヴィーンの名器、ベーゼンドルファーの響きも美しい。若きベートーヴェンの姿がある。

 第2楽章。変イ長調のロマンティックな歌が素晴らしい。ピアノ、オーケストラが一体化した世界がある。バックハウス、イッセルシュテットの歌心溢れる、深々とした演奏が聴きものだろう。ベーゼンドルファーの魅力が味わえる。

 第3楽章。若きベートーヴェンの覇気に満ちたロンド・フィナーレである。ピアノによるロンド主題に始まる。ユーモアに満ちた、力強さを備えている。バックハウスの音楽の自然な流れ。これ見よがしではない。冷たさの奥に温かさを秘めている。音も際立っている。オーケストラもピアノと互角に音楽を進める。

 宇野功労はバックハウスの音楽が表面的には冷たいが、温かみを秘めたものだったことを見抜いている。ピアノにおけるベートーヴェン演奏ではバックハウスを第一に推したことも頷けるだろう。

マルタ・アルゲリッチ ショパン ピアノ協奏曲 第2番 Op.21

 マルタ・アルゲリッチ、シャルル・デュトワ、モントリオール交響楽団によるショパン、ピアノ協奏曲、第2番、Op.21を聴く。第1楽章、オーケストラ提示部の豊かな響きは素晴らしい。デュトワの素晴らしい響きが聴こえる。

 初恋の女性、コンスタンティア・グラドコフスカへの思いが溢れている。1829年秋に完成、その後、ショパンはヴィーンを訪れた。ヴィーンはヨーゼフ・ランナー、ヨハン・シュトラウス1世によるワルツ・ポルカ・ギャロップが中心、ショパンのような真摯な音楽は全く相手にされにくかった。ベートーヴェン、シューベルトが世を去ったとはいえ、真摯な音楽すら顧みられなくなった。そんな中、ショパンはツェルニーに会ったとはいえ、

「いい人です。それだけです。」

と言うだけにとどまった。

 それはさておき、初恋の女性への思いを歌い上げた協奏曲とはいえ、アルゲリッチは技巧をひけらかすより、ショパンの恋人への思いをじっくり、心から歌い上げていく。かえって、この協奏曲のロマン性、抒情性、歌心を引き出した演奏になっている。

 第2楽章。オーケストラの充実した響きに続き、ピアノによる素晴らしい歌が続く。アルゲリッチは、人生の歩みを振り返るかのように弾き進める。これ見よがしもなく、自然、かつ淡々と音楽を進めていく。3度も結婚、離婚を繰り返しながら、今の自分を見つめているような気がする。

 第3楽章。マズルカによるロンド・フィナーレ。アルゲリッチが自然、かつひけらかすことなく、ショパンの音楽を紡いでいく。デュトワもこれに応えている。ポーランドへの思いも伝わってくる。

 デュトワとの結婚生活と破綻、そして再会。アーティストとしての成果。アルゲリッチの人生を回想しつつ、これからの歩みへの決意を示したものとして評価したい。

マルタ・アルゲリッチ ショパン ピアノ協奏曲 第1番 Op.11

 マルタ・アルゲリッチ、ショパン、ピアノ協奏曲、第1番、Op.11。シャルル・デュトワ指揮、モントリオール交響楽団との共演である。アルゲリッチとデュトワは夫婦だったものの、1974年の来日をめぐって、デュトワと夫婦喧嘩の末、帰国、離婚となった。当時、この話題で持ちきりだったとはいえ、24年後、1998年、アーティストとして共演する。不思議なものを感ずる。

 第1楽章。円熟味あふれるピアノ。歌心も情熱的、かつ内面的。ワルシャワを離れ、パリへと向かうショパン。その途上、ポーランドがロシアの支配を脱せんとして蜂起する。知らせを聞いたショパンは祖国へ帰れず、練習曲、Op.10-12「革命」、Op.25-11「木枯らし」、12「太洋」に祖国への思いを託した。ポーランドを離れてもポロネーズ、マズルカを書き続け、祖国への思いを盛り込んだ。テクニックも自然、かつ音楽と一体化したアルゲリッチの姿を伝えている。

 第2楽章。オーケストラのじっくりと歌い上げる導入部に続くピアノ。アルゲリッチが内面的に歌い上げていく。ショパンが大きな世界に乗り出すと共に、初恋の女性、コンスタンティア・グラドコフスカへの思いも詰まっている。ショパンはピアノに託して歌う。そんな思いをくみ上げたアルゲリッチが見事に歌う。

 第3楽章。これ見よがしではないアルゲリッチの姿が伝わる。デュトワも見事に応えている。音色の素晴らしさは言うまでもない。歌心もたっぷり、ショパンの姿を伝えている。

 アルゲリッチの後に出たツィメルマンがショパン没後150年記念、自ら創設したポーランド祝祭管弦楽団との弾き振りによる名演が出て来たとはいえ、ルービンシュタインなど共に語り継がれるだろう。

ブルーノ・フィリッペ クリストフ・エッシェンバッハ ハイドン チェロ協奏曲 第1番

 ブルーノ・フィリッペ、クリストフ・エッシェンバッハ指揮、フランクフルト放送交響楽団のハイドン、チェロ協奏曲、第1番。ハイドンのチェロ協奏曲は第2番、ニ長調がよく知られている。この第1番はハ長調の明るい曲想、チェロの特性を見事に発揮した作品である。

 第1楽章。若きフィリッペの才覚が光る。歌心十分。ハイドンの音楽の本質を掴み取っている。カデンツァでの見せ場が素晴らしい。第2楽章。オーケストラとチェロの対話が聴きどころとなる。フィリッペの歌心とエッシェンバッハのオーケストラのたっぷりした歌が調和している。第3楽章。華やかさ、チェロの名技が見事な調和を保っている。オーケストラが主導しつつ、全体をまとめている。

 ピアニストから指揮者に転向、ドイツのマエストロとしての風格、貫禄を備えたエッシェンバッハの円熟した指揮ぶり、若手演奏家をしっかり支えている。そのエッシェンバッハも80歳を超え、どのような演奏を聴かせるか。今後に期待しよう。

フローリアン・メルツ クリュゼヒジッシュ・フィルハーモニー ブロツヴァフ バロック管弦楽団 バッハ ブランデンブルク協奏曲 第2番 BWV1047

 ドイツ、クリュゼヒジッシェ・フィルハーモニー、ブロツヴァフ、バロック管弦楽団によるバッハ、ブランデンブルク協奏曲、第2番、BWV1047。バート・エルスター、ケーニッヒ・アルベルト劇場でのライヴ。

 ドイツ、ポーランドのオーケストラによるバッハを聴くと、歴史の流れを感じる。プロイセン、オーストリア、ロシアによるポーランド分割に始まる、ドイツ人によるポーランド侵略の歴史があっても、ヨーロッパの中のドイツとポーランドの和解あってのバッハの重みが加わる。ことに、第2次世界大戦の悲惨な記録、ドイツはポーランドに多くの領土を渡すことになったとはいえ、バッハの音楽に奥行きを与えているだろう。

 第1楽章の闊達さ、重厚さの調和。バッハの深みが伝わっていく。第2楽章の深遠さは聴きもの。第3楽章のトランペットの輝かしさ、フーガならではの重さ。内容の深さ。ドイツのバッハの本質だろう。

 フローリアン・メルツがバッハの音楽の本質を捉えつつ、しっかりとオーケストラをまとめ上げている。ずっしりした重さ、本場ドイツの重み・深みを感じる演奏である。

 

佐藤俊介 オランダ・バッハ協会管弦楽団 バッハ ブランデンブルク協奏曲 第3番 BWV1048

 佐藤俊介、オランダ・バッハ協会管弦楽団によるバッハ、ブランデンブルク協奏曲、第3番、BWV1048。第1楽章の素晴らしい推進力、見事な声部の絡み合い。バッハの音楽へと引き込んでいく。第2楽章。佐藤のソロによる即興の後、第3楽章へと進む。ここでも見事な推進力で一気に聴かせる。

 第3番は弦のみとはいえ、バッハの音楽の力は素晴らしい。音楽の深さも併せ持っている。それが、この作品の魅力となっている。

 

佐藤俊介 オランダ・バッハ協会管弦楽団 バッハ ヴァイオリン協奏曲 第1番 BWV1041

 佐藤俊介、オランダ・バッハ協会管弦楽団によるバッハ、ヴァイオリン協奏曲、第1番、BWV1041。これはクラヴィーア協奏曲、第7番、BWV1058としても演奏され、この作品の別な魅力を味わうことができる。ヴァイオリンで聴くと、本来の味を堪能できる。

 第1楽章の素晴らしい推進力、第2楽章の深い歌心、第3楽章も素晴らしい。これだけ高水準の演奏が聴けることは嬉しい。オランダ・バッハ協会が総力を挙げて作成したYou Tubeによるバッハ、全作品集の意義は大きい。佐藤俊介の日本での活躍も期待しよう。

マルタ・アルゲリッチ リスト ピアノ協奏曲 第1番 S.124 

 マルタ・アルゲリッチのリスト、ピアノ協奏曲、第1番、S.124。

 リストはピアノの魔術師と言われるほど、ピアニスト、作曲家として超絶技巧を要する作品を残した。年齢が進むにつれ、技巧・音楽とのバランスの取れた作品を残すようになった。このピアノ協奏曲もその1つだろう。1つの動機を全体の統一要素とする循環形式による、全体を統一する。その上、ピアノの強靭な技巧と音楽とのバランスを取っている。オーケストラとピアノとの対等な関係が整い、大きな世界を形成している。

 アルゲリッチはこれ見よがしにひけらかすことをしない。むしろ、リストが書き残した音楽をしっかりと聴衆に伝えている。ファゴーネの指揮も全体をしっかりとまとめている。コンサート・ライヴながら、音楽の精神をしっかり伝えた名演だろう。

アンジェラ・ヒューイット バッハ ブランデンブルク協奏曲 第5番 BWV1050 クラヴィーア、ヴァイオリン、フルートのための3重協奏曲 BWV1044

 アンジェラ・ヒューイットによるバッハ、クラヴィーア協奏曲全集。ブランデンブルク協奏曲、第5番はクラヴィーア、ヴァイオリン、フルートのためというより、クラヴィーア協奏曲ではなかろうか。それを裏書きする演奏である。リチャード・トグネッテイのヴァイオリン、アリソン・ミッチェルのフルートが加わる。

 第1楽章。推進力の素晴らしさ、バッハの音楽の深さも加わり、現代のピアノでも十分に演奏可能であることをヒューイットが示したと言えよう。カデンツァの迫力、重量感が見事。第2楽章。トグネッティ、ミッチェルの絡み合いが素晴らしい。ヒューイットが加わり、ピアノ、ヴァイオリン、フルートの3重奏になっている。歌心も十分で聴き応えがある。第3楽章。ヴァイオリン、フルート、ピアノによるフーガとなって、素晴らしい世界を生み出している。ヒューイットのような優れたバッハ演奏家がピアノでもこれだけの演奏ができることを示したものだと言えようか。

 3重協奏曲。第1楽章。イ短調の重々しさがのしかかってくるとはいえ、ヒューイットのピアノ、トグネッティのヴァイオリン、ミッチェルのフルートも聴き応え十分。流動感も十分。第2楽章。ほのぼのとした雰囲気が漂い、ヴィヴァルディ「四季」、冬の第2楽章を思わせる。ヴァイオリンのピツィカートも聴きものである。第3楽章。フーガとなり、重々しい気分となる。一気に聴かせる。

 ヒューイットのバッハ、クラヴィーア協奏曲はぜひ、一聴していただきたい。

アンジェラ・ヒューイット バッハ クラヴィーア協奏曲 第1番 BWV1052 第7番 BWV1058

 カナダのピアニスト、アンジェラ・ヒューイットのバッハ、クラヴィーア協奏曲、第1番、BWV1052、第7番、BWV1058。リチャード・トネッティ指揮、オーストラリア室内管弦楽団との共演による。

 バッハはライプツィッヒ、聖トーマス教会カントールの他に、カフェ・ツィンマーマンにおけるゲオルク・フィリップ・テレマンゆかりのコレギウム・ムジクムの音楽監督にもなった。トーマス・カントールでの煩わしさとは対照的に、ライプツィッヒ大学の学生たちとの一時はホッとした安らぎだっただろう。また、協奏曲などにも取り組める絶好の機会だった。

 クラヴィーア協奏曲は、他の楽器のための協奏曲をクラヴィーアに編曲しているものがほとんどで、失われた作品を原曲としている。今日、元の形に復元して演奏することも増えた。

 第1番はクラヴィーアとしての華麗さのみならず、深みも要求される。ヒューイットはこれに応え、見事な演奏を聴かせている。両端楽章での推進力、緩徐楽章での歌も見事。第7番はヴァイオリン協奏曲、BWV1041の編曲。クラヴィーアでも遜色ない。緩徐楽章ではしっとりしたオーケストラの音色の中にじっくりと歌い上げていく。深みある音色が聴きものである。両端楽章でも見事な演奏を聴かせる。

 ヒューイットは、バッハ演奏ではグレン・グールドを意識している。トロント生まれの奇才ピアニストへの尊敬も聴き取れる。グールドとは違う自分の世界を作り上げている。ただ、バッハ・オデッセイが新型コロナウィルスのため、未完成に終わったことは残念。私たちはヒューイットのバッハを心待ちにしている思いは変わらない。その思いを胸に秘め、ヒューイットの来日を心待ちにしたい。

ジョルジュ・シフラ チャイコフスキー ピアノ協奏曲 第1番 Op.23

 ハンガリーのピアニスト、ジョルジュ・シフラが1964年、初来日を果たした際、岩城宏之指揮、NHK交響楽団とチャイコフスキー、ピアノ協奏曲第1番、Op.23を演奏した。

 第1楽章の華やかな序奏から主部、ロシアの匂いが漂う。決して技巧をひけらかすというものではない。当時のNHK交響楽団が力強さ、歌心を兼ね備えたオーケストラになっていることがわかる。リストを得意とし、「今様リスト」と言われたシフラが指に任せた演奏ではなく、音楽をしっかり掴んだ名演を残していることを裏書きする。

 第2楽章。オーケストラのしっかりした足取り。シフラのピアノが歌心たっぷりである。オーケストラとも見事な調和を見せる。

 第3楽章。ここでもシフラは音楽を重視した演奏を聴かせる。岩城の指揮もオーケストラをしっかり響かせ、チャイコフスキーの音楽を捉えている。歌心も十分。コーダの壮大さが素晴らしい。56年前の録音とはいえ、あまりにも貴重な記録が鮮明に残っていたことを思うと、これは大きな聴きものだった。

 

ペーター・レーゼル ベートーヴェン ピアノ協奏曲 第1番 Op.15

 

 ペーター・レーゼルのベートーヴェン、ピアノ協奏曲全集にはクラウス・ペーター・フロール、ベルリン交響楽団とのもの、ヘルムート・ブラニー、ドレースデン国立歌劇場室内管弦楽団とのものがある。両者を聴き比べて見たい。

 フロールとの演奏には、はつらつさ、抒情性が素晴らしいバランスをとっている。フロール指揮のベルリン交響楽団もしっかりまとめている。ブラニ―との演奏を聴くと、ゆったりとした中に若きベートーヴェンがめざしたものを描きだしている。ピアノの音色も豊かになり、味わいあるものになっている。第1楽章のカデンツァも変っていない。第2楽章では深々とした音色でじっくり歌い上げて行く。第3楽章は自然な流れの中に、身を任せている。

 これからが楽しみである。

 

 

 

クリスティアン・ツィメルマン ショパン ピアノ協奏曲 第2番 Op.21

 

 ツィマーマンの弾き振りによるショパン、ピアノ協奏曲、第2番を聴く。ここでも、ツィマーマンはたっぷりとオーケストラを歌わせ、オーケストレーションにも手を入れている。この作品は1830年3月17日、ワルシャワでショパン自身のピアノで初演、コンサートも完売となったほどの盛況だった。

 第1楽章。オーケストラの雄弁さ、ピアノの素晴らしさ。それらが一体となって、ショパンの音楽の本質を伝える。全体には初恋の人、コンスタンティア・グラドコフスカへの思いに溢れている。他にはワルツ、Op.70-3にその思いが溢れている。しかし、その思いが伝わったとは言えない。

 第2楽章。コンスタンティアへの思いのたけを表現した演奏で、ピアノとオーケストラが一体となっている。言葉一つ交わせなかったとはいえ、ショパンの思いが満ち溢れている。ショパンは言葉を交わすには不器用だったかもしれない。

長きにわたる内縁関係にあった作家、ジョルジュ・サンドですら、ショパンは理解できない存在だっただろうか。

 第3楽章。ポーランドの民族舞曲、マズルカに基づくロンドで、ピアノの雄弁さが際立つ。ショパンは生涯、マズルカを書き続けた。死の直前にも2曲のマズルカを残している。パリへ移住してもポーランドと共にあったショパンの心の歌だった。華麗なロンドであっても、ポーランドの大地が香っている。オーケストラも雄弁である。

 ツィマーマンは、ポーランド人の心と言うべくショパンの協奏曲の本質を伝えるべく、自らオーケストラを設立して弾き振りでの演奏に挑んだ。それがかえって、ショパンの心、本質を伝えることに成功した。オーケストラを率いて来日して欲しかったとはいえ、どうだっただろうか。

 

 

クリスティアン・ツィメルマン ショパン ピアノ協奏曲 第1番 Op.11

 クリスティアン・ツィメルマンはアルトゥール・ルービンシュタインから続くショパンの国、ポーランドが生んだ素晴らしいピアニストであり、ショパン演奏も定評がある。ショパンの協奏曲はカルロ・マリア・ジュリーニなどとの共演があっても、大きな不満を抱えていた。実際、ショパンの協奏曲のオーケストレーションは欠陥があって、オーケストラを殺している面もある。ツィメルマンはショパンのオーケストレーションの見直しによって、今までの響きにない新たな光を当て、協奏曲としての魅力を再評価せんとしたに違いない。

 そこで、ショパン没後150年の1999年にちなみ、銀行をスポンサーに、ポーランドの若手音楽家からなるポーランド祝祭管弦楽団を結成して、ショパンの協奏曲再評価につなげんとして、演奏旅行を行った。しかし、来日がなかったことは残念ではある。

 ツィメルマンの弾き振りが見事で、第1楽章からショパンの音楽に引きこまれてしまう。オーケストラが雄弁、かつ素晴らしいまとまりを見せ、ショパンが引き出したかった歌心に満ち溢れている。ピアノにもショパンの音楽の心髄が満ち溢れ、美しくも鋭い響き、何かを訴えんとするものが伝わって来る。コーダの余韻、最後の和音がずっしりした重みで響き、充実感がある。

 第2楽章、ロマンスはオーケストラがしっとり、かつ深みのある響きで歌い出す。それがピアノにも影響して、深みに満ちた素晴らしい歌心、心に響く音楽となっている。オーケストラ、ピアノと共にショパンが描きだした世界を見事に表現している。

 第3楽章、オーケストラの重厚な響きからピアノがロンド主題を歌い出す。ツィメルマンのピアノが雄弁、かつ素晴らしく展開する。オーケストラが充実した響きを見せる。それがピアノと見事に調和している。抒情性も十分で、ツィメルマンがショパンの協奏曲に寄せる思いが聴こえる。ここでもオーケストレーションの見直しがある。

それによって、ショパンの音楽の魅力がかえって引き出され、ピアノの持ち味が倍増している。

 ツィメルマンがショパンの音楽の新たな魅力を引き出し、再発見した演奏として、今後長く聴き継がれるものになるだろう。

 

 

カール・ベーム モーツァルト ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲 K.364

 カール・ベームのモーツァルトの貴重な遺産の一つ、協奏交響曲、K.364。パリで母を失ったモーツァルトは、父レオポルトの説得によりザルツブルクに帰った。パリでの成果の一つとしてザルツブルクで書き上げたこの作品は、20代のモーツァルトの自信が伺える。バロック期の合奏協奏曲様式を引き継いだ協奏交響曲は、近代協奏曲への発展過程とみるべきだろう。

 ヴァイオリンは当時のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサート・マスター、トーマス・ブランディスで先頃亡くなったという。ヴィオラは首席のジュスト・カッポーネで、当時のベルリン・フィルハーモニーがヘルベルト・フォン・カラヤンのもと、優れた奏者を集めていたかがわかる。

 第1楽章は伸びやか、かつ歌心に溢れ、オーケストラ、ソリストが一体となってモーツァルトの音楽を奏でている。第2楽章は沈痛な歌が響く。母を失った悲しみが伝わる。モーツァルトの歌の世界の深さ、広がりを感じる。第3楽章はきびきびした動き、ソリストたちの歌が心地よく響く。モーツァルトらしい明るさ、ユーモアに満ちている。

 その後、モーツァルトはミュンヒェンで、オペラ「イドメネオ」を作曲、上演後、ザルツブルク大司教、ヒェロニュムス・フォン・コロレド侯爵と大喧嘩の末、ヴィーンへ移り住むこととなる。この作品での試みがヴィーンでのピアノ協奏曲創作につながっていることを思うと、一つの集大成と言えよう。

カール・ベーム モーツァルト オーボエ、クラリネット、ホルン、ファゴットのための協奏交響曲 K.297b

 日本ではヘルベルト・フォン・カラヤンと人気を二分したカール・ベームは、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とモーツァルト交響曲全集、シューベルト交響曲全集をレコーディングしている。このオーボエ、クラリネット、ホルン、ファゴットのための協奏交響曲、K.297bは、モーツァルトが母と共にマンハイム・パリへの就職旅行の際、パリで作曲したもので、筆写譜で辛うじて残った。しかし、これは偽作という説もある。真偽が明らかになる可能性もある。コンセール・スピリチュエルの依頼で作曲した大作もあったものの、これは楽譜すら残らなかったという。いずれ、この筆写譜が出てくる可能性もあるだろう。

 この旅行、ミュンヒェンでは席がないという理由で就職口は見つからない、マンハイムではカペルマイスターの職は得られなかった。その上、この地で出会ったファゴット奏者フリードリン・ヴェーバーの娘、アロイジアに恋したものの失恋する。マンハイムに長逗留するヴォルフガングにしびれを切らした父レオポルトは、パリ行きを勧めた。パリに着いても貴族たちの館を回れどあてはなし、ついに母が亡くなる。皮肉にも母の亡くなった日、交響曲第31番、K.297「パリ」が大成功を収めることとなった。

 さて、協奏交響曲はバロック時代の合奏協奏曲の形態を基とし、パリで流行した。ベートーヴェンはパリ移住を考え、協奏交響曲様式を踏まえたピアノ、ヴァイオリン、チェロのための3重協奏曲、Op.56を作曲している。独奏楽器群、オーケストラにより、古典的な協奏曲形式である。

 第1楽章。荘重かつ、堂々とした第1主題、じっくり歌う第2主題。オーケストラによる提示の後、オーボエ、クラリネット、ホルン、ファゴットが加わり、音楽を展開する。この時期のベルリン・フィルの首席奏者カール・シュタインス、カール・ライスター、ゲルト・ザイフェルト、ギュンター・ピースクが素晴らしい音楽を聴かせる。コーダ前のカデンツァではアンサンブルも見事である。第2楽章。歌に満ち溢れた世界が広がっていく。独奏楽器群、オーケストラが見事に調和している。味わい深い演奏である。第3楽章。主題と10の変奏。まず、独奏楽器群が主題を奏し、オーケストラが引き継ぐ。変奏では独奏楽器群、オーケストラが音楽を展開してゆく。自然な音楽の流れが心地よい。アレグロのコーダでも自然に流れ、堂々と締めくくる。

 ベームの数多くの名演中、この演奏も長く聴き継がれていくだろう。

 

アンドレアス・シュタイアー  バッハ、クラヴィーア協奏曲 その2

 アンドレアス・シュタイアーのバッハ、クラヴィーア協奏曲。今回はBWV1054-1057の4曲。まず、BWV1054。ヴァイオリン協奏曲、BWV1042の編曲。第1楽章はクラヴィーアを生かしつつ原曲に忠実である。第120小節から第122小節のアダージョの部分には、近代の協奏曲でのカデンツァへの道を暗示している。第2楽章。低弦の旋律がじっくり歌われ、クラヴィーアが引き継いでいく。クラヴィーアもじっくり、深々と歌う。第3楽章。きびきびとした動きが素晴らしい。

 BWV1055。第1楽章。流れるような主題、クラヴィーアの動きも見事。第2楽章。深みに満ちたシシリアーノ。クラヴィーアの動きが素晴らしい。歌心に満ちている。第3楽章。オーケストラ、クラヴィーアが一体となり、見事な調和を見せながら、クラヴィーアの技巧を生かしている。

 BWV1056。第1楽章。オーケストラ、クラヴィーアが対等に主張し合っている。第2楽章。クラヴィーアのモノローグだろう。歌心も十分で、たっぷりした情感が伝わる。第3楽章。オーケストラ、クラヴィーアは対等になっている。クラヴィーアの技巧も十分に生きている。

 BWV1057。ブランデンブルク協奏曲第4番、BWV1049の編曲。ここではリコーダー2本が加わる。第1楽章。クラヴィーアとの絡み合いが見事で、クラヴィーアの技巧も生きている。第2楽章。リコーダーとクラヴィーアが深々とした、見事な歌を聴かせる。聴きごたえ十分である。第3楽章。フーガによるフィナーレで、クラヴィーア、オーケストラ、リコーダーが整然と、かつ見事な合奏で全曲を締めくくっていく。クラヴィーアの技巧も生きている。

 この全集は2015年録音で、フライブルク・バロック管弦楽団、リコーダーのイザベル・レーマン、マルグレート・ゲルナーも見事なまとまりを見せた演奏でシュタイアーを支えている。バッハ、クラヴィーア協奏曲全集の一つの規範となる演奏としても推薦したい。

アンドレアス・シュタイアーのバッハ、クラヴィーア協奏曲 その1

 ピアノフォルテの演奏でも注目を集めるアンドレアス・シュタイアーのバッハ、クラヴィーア協奏曲全7曲(harmonia mundi HMC 902181,82、フライブルク・バロック管弦楽団)からBWV1052,1053,1058の3曲。

 BWV1052。第1楽章の推進力が見事。第2楽章はじっくり歌いあげていく。第3楽章も見事な推進力を見せる。この協奏曲では第2楽章では低弦とクラヴィーアとの対話が聴かれる。第3楽章でもオーケストラ、クラヴィーアの掛け合いが見られる上、第272小節ではソリストの腕の見せ所のカデンツァの箇所があることは近代のピアノ協奏曲への道を暗示している。

 BWV1053。第1楽章ではヴァイオリンの旋律をクラヴィーアが支える箇所がある。明るさ、ユーモアに溢れ、歌も十分。第2楽章、シシリアーノ。オーケストラ、クラヴィーアとの対話が見事。深々と歌いあげていく。第3楽章。クラヴィーアが技巧的に動きながらも、オーケストラとの調和も考えられている。明るさ、ユーモアたっぷりで歌に満ちている。

 BWV1058。これはヴァイオリン協奏曲第1番の編曲である。きびきびした第1楽章。推進力が見事で、一気に駆け抜ける。第2楽章。たっぷりした情感から聴こえてくる歌が素晴らしい。しみじみと歌う。第3楽章。こちらも見事な推進力で、クラヴィーアの技巧が生きている。カデンツァが聴かれ、しっかりと締めくくる。

 シュタイアーはオーケストラをまとめつつ、見事な演奏を聴かせる。フライブルク・バロック管弦楽団もシュタイアーの意図に見事にこたえている。

クレーメル、アーノンクール ベートーヴェン ヴァイオリン協奏曲 Op.61

 NHKラジオ第1「音楽の泉」でギドン・クレーメル、ニコラウス・アーノンクール、ヨーロッパ室内管弦楽団によるベートーヴェン、ヴァイオリン協奏曲、Op.61、ニ長調を聴く。

 この演奏では第1楽章、カデンツァではこの協奏曲、ピアノ版でピアノとティンパニよる掛け合いがある。ヴァイオリンでこの試みを行うとはアーノンクールならではだろう。第3楽章でもピアノとの掛け合いが出てきて、興味深かった。この試みは、ピアノ協奏曲第5番、Op.73、変ホ長調「皇帝」で出てくる。これはその先駆けではないだろうか。

 アーノンクールは、ヴィーン・フィルハーモニーのニューイヤー・コンサートでもヨハン・シュトラウス1世「ラデツキー行進曲」の原曲版を復活させたり、ブラームス、ハンガリー舞曲を取り上げて、話題になっている。音楽学的な考察を加えた試みも一つの提言にもなったりする。その意味でも、アーノンクールの存在は大きいだろう。