中野敏夫 戦争と詩歌 白秋と民衆、総力戦への「道」

 日本を代表する詩人、北原白秋の創作活動を近代日本の歴史から取り上げ、詩歌がいかにしてナショナリズム、戦争の道を用意したかを取り上げた著作として重要である。

 大正デモクラシーを見ると、政治面では原敬が政党政治を始め、普通選挙法が成立した。教育では「忠君愛国」への批判が高まり、沢柳龍太郎が「成城小学校」を設立したことに始まり、新しい教育のあり方が唱えられた。それが堅苦しい「唱歌」から、子どもの視線に立った「童謡」への道を開いた。これは明治期、滝廉太郎も試みた。文学でも鈴木三重吉による「赤い鳥」運動が始まり、「童謡」が誕生する。

 一方、多くの日本人たちが植民地となった朝鮮・台湾に渡り、事業を始めたり、職を得るようになった。朝鮮では日本人への反感が高まった。1919年3月1日の朝鮮独立運動、1923年、関東大震災の折の朝鮮人虐殺事件となった。日本人たちの間に中国人・朝鮮人蔑視が大きくなったことは見逃せない。

 中野は1923年の関東大震災に着目している。死者・不明者105000人を出した大災害の後、ナショナリズムの高揚により新しい民謡、国民歌謡が生まれ、戦争への道を突き進むこととなった。北原白秋はこの流れに乗り、多くの民謡歌を作り、時流に乗った詩を多数残すこととなる。1925年にはじまったラジオ放送が国民歌謡を広めていった。この動きについて、ソプラノ歌手で日本の歌に取り組んでいる藍川由美も著書「これでいいのか、にっぽんのうた」71ページ-80でこの問題を指摘する。

 国民歌謡を放送で推し進めたNHKの問題をはじめ、戦後の歌のあり方にも言及している。藍川の指摘も大きな意義を持って迫って来る。今こそ、近代日本における「歌」の問題を歴史から真摯に再考する時期に来ている。その上でもこの書をお勧めしたい。

 

(NHK出版 1200円+税)